北海道の自然災害伝承碑一覧

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北海道の自然災害伝承碑一覧。自然災害伝承碑(しぜんさいがいでんしょうひ)とは、過去に発生した地震・津波・洪水・噴火・土砂災害などにおける災害の様相や被害の状況といった事柄が記された石碑やモニュメント。

被災現地に建てられていることが多く、当時の被災状況を記すことにより教訓を現在の地域住民へと伝え、災害時の的確な行動による被害の軽減や防災意識の向上に役立つものと期待されます。

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【栗山町】水難溺死者供養之碑

【栗山町】水難溺死者供養之碑

碑名 水難溺死者供養之碑
災害名 明治31年洪水(1898年9月6日~8日)
災害種別 洪水
建設年 1899年
所在地 北海道栗山町角田42 方田寺
伝承内容 明治31年(1898)9月6日から8日までの大雨により夕張川をはじめ周辺河川が一斉にあふれ大氾濫となった。角田の低地帯は一面浸水し、92戸の家屋が流失、82名の尊い命が犠牲となった。※境内立ち入りには方田寺の許可が必要。

【登別市】親子地蔵尊

碑名 親子地蔵尊
災害名 昭和36年集中豪雨(1961年10月6日)
災害種別 洪水
建設年 1962年
所在地 北海道登別市片倉町
伝承内容 昭和36年(1961)10月5日から降り始めた雨は、翌6日午後になって特に山岳地域で集中豪雨となり、午後5時過ぎに登別市内を流れる全河川が氾濫し始め、濁流が渦となって市街地に流れ込んだ。登別市内では死者4名、行方不明者7名、全壊20戸、流失27戸、半壊17戸、床上浸水1,009戸、床下浸水3,218戸などの被害を受けた。碑は避難中に犠牲となった親子5人を慰霊する地蔵尊である。

【平取町】頭首工竣功記念碑

【平取町】頭首工竣功記念碑

碑名 頭首工竣功記念碑
災害名 大正11年8月洪水(1922年8月24日)
災害種別 洪水
建設年 1969年
所在地 北海道平取町本町135-5
伝承内容 大正11年(1922)8月24日から25日にかけて台風の影響(降雨量約350mm)により沙流川が氾濫した。日高振興局管内では、死者38名、負傷者13名、家屋流失228戸、家屋浸水1,136戸、田畑浸水約3,800万平方メートルであった。碑の所在地では、導水門やその取水口(頭首工)が流出破損するなどの大きな被害を受けた。

【新冠町】水害遭難者之碑

【新冠町】水害遭難者之碑

碑名 水害遭難者之碑
災害名 昭和30年水害(1955年7月4日)
災害種別 洪水
建設年 1956年
所在地 北海道新冠町高江489
伝承内容 昭和30年(1955)7月3日から4日にかけ強風を伴う豪雨により新冠川が氾濫した。下流域の市街地は濁流に飲まれ、家屋流失44戸、全壊14戸、半壊26戸、死者27名等の被害を出した。

【えりも町】震嘯罹災記念

【えりも町】震嘯罹災記念

碑名 震嘯罹災記念
災害名 昭和三陸地震(1933年3月3日)
災害種別 地震・津波
建設年 1933年
所在地 北海道えりも町えりも岬170-9
伝承内容 昭和8年(1933)3月3日未明、三陸沖で発生した地震による津波が幌泉村(現えりも町)を襲い、えりも岬地区、庶野地区を中心に大きな被害が発生した。津波は3回来襲し、3回目の波高は14.2mにも達し、死者13名、負傷者56名、家・建物の倒壊90棟などの被害があった。

【えりも町】震嘯罹災記念

【えりも町】震嘯罹災記念

碑名 震嘯罹災記念
災害名 昭和三陸地震(1933年3月3日)
災害種別 地震・津波
建設年 1933年
所在地 北海道幌泉郡えりも町字庶野524
伝承内容 昭和8年(1933)3月3日未明、三陸沖で発生した地震による津波が幌泉村(現えりも町)を襲い、えりも岬地区、庶野地区を中心に大きな被害が発生した。津波は3回来襲し、3回目の波高は14.2mにも達し、死者13名、負傷者56名、家・建物の倒壊90棟などの被害があった。碑は倒壊の恐れがあったため平成9年に補修され、説明板が整備された。

【函館市】南茅部町遭難犠牲者慰霊碑

【函館市】南茅部町遭難犠牲者慰霊碑

碑名 遭難犠牲者慰霊碑
災害名 昭和48年集中豪雨(1973年9月24日)
災害種別 洪水・土砂災害
建設年 1975年
所在地 北海道函館市川汲町2085 川汲公園内
伝承内容 昭和48年(1973)9月23日夜から24日にかけて、渡島半島南部は集中豪雨となった。旧南茅部町(現在の函館市北部)では、総雨量383mmという記録的な豪雨により河川の氾濫、裏山からの出水、土石流、裏山崩落などにより、国道は寸断され、住宅などの建物が倒壊(全壊16戸)し、死者8名、重軽傷者11名等の被害を出す大惨事となった。

【松前町】光明寺寛保津波の碑

【松前町】光明寺寛保津波の碑

碑名 寛保津波の碑
災害名 寛保津波(1741年8月29日)
災害種別 津波・火山災害
建設年 1742年
所在地 北海道松前町建石7 光明寺
伝承内容 寛保元年7月16日(1741年8月26日)、大島(渡島大島)が突然噴火し、同19日(同29日)早朝に大津波が襲来した。この津波によって松前弁天島から旧熊石村(現八雲町)まで被害を受け、溺死者は総数1467名、流失倒壊家屋は791戸に及んだ。

【松前町】泉龍院寛保津波の碑

【松前町】泉龍院寛保津波の碑

碑名 泉龍院寛保津波の碑
災害名 寛保津波(1741年8月29日)
災害種別 津波・火山災害
建設年 不明
所在地 北海道松前町江良435 泉龍院
伝承内容 寛保元年7月16日(1741年8月26日)、大島(渡島大島)が突然噴火し、同19日(同29日)早朝に大津波が襲来した。この津波によって松前弁天島から旧熊石村(現八雲町)まで被害を受け、溺死者は総数1467名、流失倒壊家屋は791戸に及んだ。特に大島の対岸にある松前町字江良地区の被害が最も大きく、約450人が犠牲となった。

【知内町】復興記念碑

【知内町】復興記念碑

碑名 復興記念碑
災害名 昭和48年集中豪雨(1973年9月24日)
災害種別 土砂災害
建設年 1976年
所在地 北海道知内町小谷石
伝承内容 昭和48年(1973)9月23日から25日にかけて、強い集中豪雨が道南地方を襲い、特に24日13時からの1時間雨量は133mmを記録した。この大雨による土石流とがけ崩れ等で小谷石地区全戸数の40%にあたる100戸が全壊又は流失し、死者4名、行方不明者4名の被害が生じた。碑には当時中ノ沢上流から流れてきた自然石が使用されている。

【乙部町】山津波犠牲者慰霊碑

【乙部町】山津波犠牲者慰霊碑

碑名 山津波犠牲者慰霊碑
災害名 地すべり(1962年10月17日)
災害種別 土砂災害
建設年 1963年
所在地 北海道乙部町豊浜
伝承内容 昭和37年(1962)10月17日、乙部町豊浜地区、八雲町熊石(旧熊石町)相沼地区間にあった旧国道沿いのトンネル間の崖が、約600メートルに渡る大規模な地すべりを起こした。地すべりは、路線バスを押し流し、死者11名、行方不明者3名、重軽傷者14名を出した。碑は、昭和48年(1973)に、現在の豊浜トンネルが開通した際に現在の位置へ移転した。

【奥尻町】時空翔

【奥尻町】時空翔

碑名 時空翔
災害名 北海道南西沖地震 (1993年7月12日)
災害種別 地震・津波
建設年 1998年
所在地 北海道奥尻町青苗49
伝承内容 1993年7月12日午後10時17分に発生した北海道南西沖地震はマグニチュード7.8と日本海では観測史上最大級で、激しい地震の数分後に大津波が押し寄せた。奥尻町では地震・津波・火災により198名の尊い命が犠牲となった。碑の土台は押し寄せた津波と同じ高さまで盛土されている。

【奥尻町】慰霊碑(松江地区)

【奥尻町】慰霊碑

碑名 慰霊碑
災害名 北海道南西沖地震 (1993年7月12日)
災害種別 地震・津波
建設年 1997年
所在地 北海道奥尻町松江23-1
伝承内容 1993年7月12日午後10時17分、奥尻島を襲った北海道南西沖地震による津波により多くの人命や家屋が失われた。その恐ろしさを後世に伝えるため建立した。この慰霊碑がある初松前地区では34名の尊い命が犠牲となった。

【奥尻町】慰霊碑(奥尻地区)

【奥尻町】慰霊碑

碑名 慰霊碑
災害名 北海道南西沖地震 (1993年7月12日)
災害種別 土砂災害・地震
建設年 1997年
所在地 北海道奥尻町奥尻309-2
伝承内容 1993年7月12日午後10時17分、奥尻島を襲った北海道南西沖地震によって大規模な斜面崩壊が発生し、ホテルなどの建物が一瞬にして飲み込まれた。この慰霊碑がある奥尻地区では観光客を含む31名の尊い命が犠牲となった。

【奥尻町】慰霊碑(稲穂地区)

【奥尻町】慰霊碑

碑名 慰霊碑
災害名 北海道南西沖地震 (1993年7月12日)
災害種別 地震・津波
建設年 1997年
所在地 北海道奥尻町稲穂107
伝承内容 1993年7月12日午後10時17分、突然奥尻島を襲った北海道南西沖地震により死者・行方不明者を合わせて198名もの人命を奪った大惨事を後世に伝え遺すため建立した。この慰霊碑がある稲穂地区では18名の尊い命が犠牲となった。

【旭川市】美瑛川治水竣功記念

【旭川市】美瑛川治水竣功記念

碑名 美瑛川治水竣功記念
災害名 昭和22年8月洪水(1947年8月15日~16日)
災害種別 洪水
建設年 1958年
所在地 北海道旭川市西神楽南1条3丁目
伝承内容 昭和22年(1947)8月15日~16日の豪雨は、大正4年(1915) に次ぐ約30年ぶりの大洪水となり、尊い命が犠牲になったほか家屋の浸水、田畑の流出等の被害が発生した。

【美瑛町】十勝岳爆発記念

【美瑛町】十勝岳爆発記念

碑名 十勝岳爆発記念
災害名 火山噴火(1962年6月29日)
災害種別 火山災害
建設年 1963年
所在地 北海道美瑛町十勝岳望岳台
伝承内容 昭和37年(1962)6月29日、十勝岳爆発により、宿舎に宿泊していた5名が火山弾の直撃を受けて犠牲となった。碑には「昭和三十八年八月八日この碑を建設するに当り当時殉難の五氏を慎むと共に山岳無縁物故者の霊を慰む」とある。

【美瑛町】大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑

【美瑛町】大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑

碑名 大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑
災害名 火山噴火・泥流(1926年5月24日)
災害種別 火山災害
建設年 1975年
所在地 北海道美瑛町十勝岳望岳台
伝承内容 大正15年(1926)5月24日、十勝岳大爆発に遭遇し、この地では3名が一瞬にして山津波に巻込まれ死亡。温泉はもとより、施設とともに潰滅した。

【上富良野町】遭難記念碑

【上富良野町】遭難記念碑

碑名 遭難記念碑
災害名 火山噴火・泥流(1926年5月24日)
災害種別 火山災害
建設年 1927年
所在地 北海道上富良野町西2線北31
伝承内容 大正15年(1926)5月24日、十勝岳が大爆発した。山腹が崩壊し森林が倒壊、積雪が溶け火山泥流となり富良野川沿いを流れ市街地へと押しよせた。この災害で100余の人命を喪失し巨万の財物を滅尽した。碑の台石は泥流によって流されてきた転石をそのまま使用している。

【上富良野町】泥流地帯三浦綾子文学碑

【上富良野町】泥流地帯三浦綾子文学碑

碑名 泥流地帯三浦綾子文学碑
災害名 火山噴火・泥流(1926年5月24日)
災害種別 火山災害
建設年 1984年
所在地 北海道上富良野町西3線北28
伝承内容 大正15年(1926)5月24日に起きた十勝岳の爆発は、残雪を溶かして泥流を発生させた。泥流は144名の尊い人命を奪い、開拓以来苦難を乗り越え、血と汗によって築いた沃野を一瞬のうちに泥田と化した。惨事を風化させず、復興を成し遂げた先人の偉業を称え、被災の地に建立された。

【上富良野町】十勝岳爆発惨死者碑

【上富良野町】十勝岳爆発惨死者碑

碑名 十勝岳爆発惨死者碑
災害名 火山噴火・泥流(1926年5月24日)
災害種別 火山災害
建設年 1926年
所在地 北海道空知郡上富良野町栄町3丁目 専誠寺境内
伝承内容 大正15年(1926)5月24日、十勝岳が大爆発、積雪が溶けた火山泥流により犠牲になった144名の慰霊のため役場裏庭に建立された。数度の移転等を経て昭和63年(1988年)から現在地に安置されている。

【上富良野町】追善記念碑

【上富良野町】追善記念碑

碑名 追善記念碑
災害名 火山噴火・泥流(1926年5月24日)
災害種別 火山災害
建設年 1930年
所在地 北海道空知郡上富良野町西6線北28号
伝承内容 大正15年(1926)5月24日、十勝岳が大爆発した。積雪が溶け火山泥流が発生し、144名の尊い人命とともに、家畜も大きな被害を受けた。泥流に呑まれ犠牲となった馬25頭、牛3頭の供養のため建立された。

【上富良野町】新西国三十三所観世音菩薩

【上富良野町】新西国三十三所観世音菩薩

碑名 新西国三十三所観世音菩薩
災害名 火山噴火・泥流(1926年5月24日)
災害種別 火山災害
建設年 1930年
所在地 北海道上富良野町中町3丁目 大雄寺境内
伝承内容 大正15年(1926)5月24日、十勝岳が大爆発した。積雪が溶け火山泥流が発生し、144名が犠牲となった。大雄寺周辺にも泥流が押し寄せ、庫裡の床下が泥流で埋った。犠牲となった方の追善供養のため、この地に、三十三所観世音菩薩が建立された。

【上富良野町】遭難記念碑

【上富良野町】遭難記念碑

碑名 遭難記念碑
災害名 火山噴火・泥流(1926年5月24日)
災害種別 火山災害
建設年 1926年
所在地 北海道上富良野町西町1丁目 明憲寺境内
伝承内容 大正15年(1926)5月24日、十勝岳が大爆発、積雪が溶け火山泥流が発生し、144名が犠牲となった。この碑の台座正面に銅版が埋め込まれ、遭難死者144名の姓名が刻まれている。

【上富良野町】十勝岳爆発横死者血縁塔

【上富良野町】十勝岳爆発横死者血縁塔

碑名 十勝岳爆発横死者血縁塔
災害名 火山噴火・泥流(1926年5月24日)
災害種別 火山災害
建設年 1927年
所在地 北海道上富良野町本町2丁目 聞信寺境内
伝承内容 大正15年(1926)5月24日、十勝岳大爆発により犠牲となった無縁仏12名のための血縁塔として建立された。碑の裏面には法名と推定年齢が刻まれている。

【留萌市】留萌川激特事業竣功記念碑

【留萌市】留萌川激特事業竣功記念碑

碑名 留萌川激特事業竣功記念碑
災害名 昭和63年8月洪水(1988年8月25日~26日)
災害種別 洪水
建設年 1992年
所在地 北海道留萌市南町1丁目
伝承内容 昭和63年(1988)8月25日から26日にかけて、留萌川流域は350ミリを超える豪雨に見舞われ、流域各地で越水、氾濫した。被害は、住宅浸水3,376棟、道路損壊74か所、土砂崩れ62か所、道路・JR等不通、農地被害623ヘクタールなど、市内全域に及んだ。

【天塩町】追悼碑

【天塩町】追悼碑

碑名 追悼碑
災害名 積丹半島沖地震(1940年8月2日)
神威岬沖地震
災害種別 津波
建設年 1972年
所在地 北海道天塩町川口8413
伝承内容 昭和15年(1940)8月2日、神威岬北西沖を震源地とする積丹半島沖地震(神威岬沖地震)により、天塩川口は2メートルの津波に襲われ10名の命が奪われた。

【佐呂間町】慰霊之碑

【佐呂間町】慰霊之碑

碑名 慰霊之碑
災害名 平成18年11月竜巻(2006年11月7日)
災害種別 その他
建設年 2007年
所在地 北海道佐呂間町若佐
伝承内容 平成18年(2006)11月7日、佐呂間町若佐を一瞬にして竜巻が通り過ぎ31名が負傷し、新佐呂間トンネルの技術関係者9名が犠牲となった。住家は全壊7棟を含め41棟に、非住家は76棟に被害があった。

【北見市】樹霊供養之塔

【北見市】樹霊供養之塔

碑名 樹霊供養之塔
災害名 洞爺丸台風(1954年9月26日)
災害種別 その他
建設年 1959年
所在地 北海道北見市留辺蘂町富士見
伝承内容 昭和29年(1954)9月26日、北海道に襲来した台風15号(洞爺丸台風)は、一夜にして道内の広い範囲で立木をなぎ倒し、森林に大規模な被害を与えた。中でも層雲峡地帯北見富士山麓の被害は甚だしく、世界林業史上例をみない風倒木を出現させた。

【湧別町】水天宮の跡

【湧別町】水天宮の跡

碑名 水天宮の跡
災害名 明治31年洪水(1898年9月6日~8日)
災害種別 洪水
建設年 1984年
所在地 北海道紋別郡湧別町北兵村78-1
伝承内容 明治31年(1898年)9月6日から8日にかけて全道的に発生した大豪雨は、各河川で氾濫となった。湧別川の増水は4.6mに達し、現在の紋別市を含む紋別郡では1273戸が浸水、29戸の家屋が流出し、13名の尊い命が犠牲となった。この碑は、この大洪水で大被害を受けたため、兵村の安全を祈願し、この地に水天宮を祀ったことが記されている。

【浜中町】十勝沖地震・チリ地震津波災害 復興記念碑

【浜中町】十勝沖地震・チリ地震津波災害 復興記念碑

碑名 十勝沖地震・チリ地震津波災害 復興記念碑
災害名 1952年十勝沖地震(1952年3月4日)
チリ地震津波(1960年5月24日)
災害種別 地震・津波
建設年 1952年
所在地 北海道浜中町暮帰別東1丁目233
伝承内容 昭和27年(1952)3月4日の十勝沖地震では浜中町に流氷をともなった3m余りの津波が襲い、3名が犠牲となり306戸が被災した。また昭和35年(1960)5月23日のチリ地震津波でも翌24日に12回にわたって津波が襲い、11名が犠牲となり534戸が被災した。

【浦幌町】浦幌川流域災害復旧記念碑

【浦幌町】浦幌川流域災害復旧記念碑

碑名 浦幌川流域災害復旧記念碑
災害名 昭和63年洪水(1988年11月24日~25日)
災害種別 洪水
建設年 1990年
所在地 北海道浦幌町活平231-1
伝承内容 昭和63年(1988)11月、道東を襲った低気圧による豪雨は浦幌町で152mmという記録的な降雨量となり、異常出水となった浦幌川は、氾濫、決壊、河道変動をもたらし、家屋浸水34戸、農地流失192ヘクタール等の重大な被害を与えた。

【浦幌町】浦幌川災害復旧改修記念碑

【浦幌町】浦幌川災害復旧改修記念碑

碑名 浦幌川災害復旧改修記念碑
災害名 昭和50年洪水(1975年5月17日)
災害種別 洪水
建設年 1978年
所在地 北海道浦幌町常室51-10
伝承内容 昭和50年(1975)5月の低気圧による降雨は、連続雨量が171mmに達し、浦幌では大正11年(1922)8月に次ぐものであった。折から融雪後期の出水とともに浦幌川が激流となり、家屋浸水90戸、田畑流失・浸水1250ヘクタール等の重大な被害を与えた。

 

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